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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

源氏物語



紫式部の書き綴った世界最古の長編小説源氏物語を簡潔にまとめ上げたもの。


「袖を振るという事は一つの愛情表現」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



ラジオ深夜便で「トキメキ源氏絵巻」が始まったのが今年3月の事。
源氏物語は人間関係の複雑さやストーリーの壮大さで読まない人も多い。
番組に石田純一が出ていて驚いたが歌人の小島ゆかりも出ていて少し安心。



源氏物語は主人公の光源氏が成長する過程を和歌を中心に描いた絵巻。
光源氏が17歳の時に初めて恋に芽生えた相手が藤壺の宮だった。

藤壺は光源氏の父親の後妻なので義母にあたり禁断の恋である。
光源氏は藤壺が出席する宴で舞を披露し一首の和歌を藤壺へ送った。



「物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや」

直訳すれば貴女を想い舞うこともやっとという私の心をご存知でしょうか。
あなたへと振る袖の心を知らないわけではないでしょうという意味の歌。

「振る袖の心」袖を振るという事は愛情表現で藤壺へアピールした歌である。



藤壺へ歌を送る前に光源氏と藤壺は夜を共にして光源氏の子を身籠っていた。
光源氏の心は藤壺の宮へ藤壺の心は夫の桐壺帝に分かるのではと心情を詠む。

架空の人物像を描いた紫式部は小さい頃から才女として抜きん出ていた。
中国にも紅楼夢という長編小説があり学生達は源氏物語との類似点を探す。


「娘には手をつけぬよう釘を刺し病死」

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六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は光源氏の愛人の一人。
華やかに描かれ物語では生き霊になり人を殺す異質な未亡人像を描く。

「袖ぬるる こひぢとかつは 知りながら 下り立つ田子の みづからぞうき」
泥沼の恋だと知りながら気持ちを抑えられなかった私は愚かですねの意味。



彼女の嫉妬した表情は般若の面にも代表され妖怪扱いされてきた。
現代の日本文学では病んでると言うヤンデレの元祖に祭り上げらている。

亡き東宮の皇太子妃の地位を持ち知性も教養もプライドも高い美女である。
源氏には正妻葵の上がおり愛人という事に我慢していたが正妻を呪い殺す。



正妻を呪い殺した事を源氏に知らせることなく自らの病を理由に出家した。
六条御息所の見舞いに訪れた源氏に娘に手をつけぬよう釘を刺しつつ病死。

死んでも尚怨霊として源氏の正妻の紫の上や女三宮にも取りついた。
葵の上死亡以前に起こる夕顔の突然死の幽霊も六条御息所だと思わせる。



御息所の一人娘の秋好中宮は亡き母の動きを嘆き悲しみ追善供養を行った。
現代で病気は遺伝や不摂生や精神ストレスからだが当時は怨霊とされていた。

源氏は御息所の屋敷を自分の家である六条院に改造してしまっていた。
六条御息所の御息所は天皇及び東宮の子を産んだ妃にのみ与えられる。


「紫の上に冷たく当たってきた事を後悔」

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(トイレの便座を上げた状態で手を付き嘔吐)

怨霊の人の六条御息所の事を書いたせいなのか眩暈嘔吐が酷かった。
ベッドから起き上がろうとしても部屋がグルグル回ってトイレで嘔吐。

脳梗塞を疑い水分補給をし嘔吐しても栄養を補給したが熱中症かも。
一夜明けたものの自分の体ではないように重たくバランスも取れない。



(トイレまでは何とか間に合ったがももが心配そうに覗く)

光源氏の正妻は葵の上で父は桐壺帝時代の左大臣で母は桐壺帝の妹の大宮。
光源氏とは従姉にあたり左大臣の思惑で元服した源氏の北の方に納まる。

源氏が22歳の時にようやく懐妊の報に周囲は喜びに沸き上がっていた。
周囲の勧めで賀茂祭へ見物に行き源氏の愛人の六条御息所と車争いになる。



(左耳が風が吹いてもブーンブーンと音がしていた)

六条御息所の牛車を壊し恥をかかせてしまい葵の上は物の怪に悩まされる。
葵の上は臥せる日が続き源氏が見舞う前で六条御息所の生霊が姿を見せる。

葵の上は難産の末に夕霧を産み覚めた源氏と夫婦の情愛が通い合う事になる。
だが六条御息所の怨霊なのかその夜に急に苦しんで呆気なく他界してしまう。



(午後5時過ぎからの散歩は日傘を差して出掛けた)

密かに藤壺を恋い慕う源氏に葵の上も打ち解けず夫婦仲は冷め切っていた。
源氏との夫婦仲の冷淡さは葵の上が詠んだ和歌が一首もない事にも象徴される。

紫の上は消えてゆく露のように最期の時を迎え夜が明けきる頃に亡くなった。
源氏は紫の上に冷たく当たってきた事を後悔し左大臣邸にこもって喪に服した。


「佳人薄命の如く夕顔は玉鬘を残し他界」

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(飲酒はしてなかったが酒より酷い眩暈だった)

第3帖夕顔は三位中将の娘で頭中将の側室で一女を産み名を玉鬘と付けた。
本妻の葵上の嫉妬を恐れて市井に紛れ暮らしている時光源氏の愛人となる。

光源氏が17歳で24歳の六条御息所へ通っていたが次第に足が遠のいていた。
その折19歳の夕顔と出会いお互い素性を明かさずに結ばれることになる。



(ももの散歩は水を持ち日傘を差し慎重に歩いた)

夕顔との出会いは源氏の乳母の見舞いで五条まで見舞いに出かけ出会う。
侘びしい佇まいの隣家に咲く花の名を尋ねた女性が夕顔で和歌を源氏へ送る。

興味を持った源氏は返歌をし互い身分を明かす事もなく夕顔に心ひかれていく。
夕顔は無垢な雰囲気を備えどことなく品がある不思議な女性だった。



(歩数も普段は13000歩だが1200歩へ昨日6700歩)

六条御息所は源氏が久しく来ないので弄ばれた事が広まらないか苦悶の日々。
源氏は夕顔を連れ無人の屋敷で一夜を共にするが恨み事を言う美女の夢を見る。

夕顔は息をしていなく夢に出てきた美女が再度幻となって現れては消えて行った。
佳人薄命を絵に描いたような悲劇的な最後が印象に残る夕顔は玉鬘を残し他界。



(私が救急へ運ばれればももが一人取り残されてしまう)

帚木三帖の「雨夜の品定め」で「愛した女人が北の方の嫉妬に遭い姿を消した」
頭中将の言葉にその女人が夕顔である事を源氏は悟り玉鬘がいる事を知った。

源氏は「玉鬘を引き取りたい」と切り出すが騒ぎになる事を恐れ制止された。
源氏は夕顔がふと現れるのではと家へ向かったが夕顔の姿は何処にもなかった。


「紫の上は源氏の子を産んだ明石に嫉妬した」

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光源氏の初めての妻は葵の上で源氏の父と左大臣で決められたもの。
葵の上死後娶ったのは紫の上で理想の妻に教育し正式な結婚をした。

14歳の女三宮を源氏が正妻に迎え紫の上は正妻ではなく正妻格となった。
源氏の六条院には女三宮や紫の上と源氏の息子の養母花散里と住んでいた。



また源氏の娘の生母の明石の君も妻の立場で妻と妾の違い曖昧だった。
一夫一妻の現在とは違い一夫多妻の平安貴族の源氏の妻は5人だった。

源氏所有のニ条院に空蝉と末摘花を住まわせていたが妻と呼ばれていない。
源氏の妻は葵の上、紫の上、花散里、明石の君、女三宮の5人とされる。



紫の上は容姿と共に知性や性格なども最高級の女性として描かれている。
紫の名は古今集の雑歌から源氏の永遠の女性藤壺の姿を婉曲に表している。

紫の上が生まれすぐ母は亡くなり母方の祖母である北山の尼君に育てられた。
光源氏が北山で病気療養中に藤壺と生き写しの容姿を見て藤壺の姪だと知る。



源氏は祖母の死後若紫を拉致し自邸の二条院で素性を隠し理想の女性に育てる。
源氏の正妻である葵の上の没後に源氏と初床に至り公に正妻同様に扱われる。

紫の上が源氏の妻である事を紫の上の父も行方不明だった娘の事が知らされた。
紫の上には子供がなく明石の君が生んだ女の子を紫の上の養女とし育てさせた。



紫の上は源氏の最愛の妻であるが源氏の子を産んだ明石の御方に嫉妬した。
六条院に移ってよりは源氏の正夫人として春の上や北の方などと呼ばれた。

紫の上は源氏とすれ違いを重ね心労から37歳の厄年に重病になり病没した。
源氏は悲嘆の中で彼女の苦悩と孤独を痛感し源氏物語の第一部は閉じた。


「源氏を裏から支え聖母と呼ばれていた」

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(熱中症の眩暈と嘔吐の症状がぶり返してきた)

花散里(はなちるさと)は源氏物語の巻名のひとつで第11帖。
源氏物語の作中最も短い巻であり巻名は光源氏の詠んだ歌に因む。

「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ」から取る。
花散里は「桐壺帝(源氏の父)」の妻の妹で源氏の信頼も厚かった。



(自治会内の売られた空き家が取り壊された)

花散里(はなちるさと)は光源氏の妻の一人である。
長男「夕霧ー光源氏の長子。母は葵の上」

孫「三の君ー貴族の三女の敬称」 養女「玉鬘ー夕顔の娘」
源氏は3人の世話を全て花散里に任せ裏から支えた聖母と呼ばれている。



(2軒隣の看護師さんが経口補水液を持って来てくれた)

光源氏25歳夏の話。
五月雨の頃に源氏は故桐壺院の妃の一人麗景殿女御を訪ねる。
妹の三の君(花散里)は源氏の恋人で姉妹は源氏の庇護を頼り暮らしていた。

訪問の途中で中川の女(空蝉うつせみ)に歌を詠みかけるが拒絶される。
空蝉の邸は橘(たちばな)の花が香り昔を忍ばせるホトトギスが鳴いていた。



(経口補水液は点滴と同じ作用なので飲んでみてと言われる)

源氏は空蝉と昔話を語り合った後そっと孫である三の君を訪れた。
花散里は源氏の父桐壺帝の妻を姉に持ち源氏とは若い頃から関係があった。

容姿は端麗ではないが温和な慎ましい性格で裁縫や染物にも堪能な女性。
源氏の妻の中では紫の上に次ぐ立場となる。



(一気に飲まず100mLずつ飲んで大分楽になった)

花散里は源氏の通い妻の一人だったが六条院造営後は夏の町の主となる。
夏の御方とか東の御方とも呼ばれたが家庭的で信頼の置ける人柄を見込まれる。

夕霧と玉鬘の母代わりとなり夕霧の子の一人を孫として引き取り育てた。
源氏の死後は二条東院を遺産として譲り受け再び二条東院に移った。


「娘の行く末を考え手放す事を決断する」

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(経口補助液で徐々に体の調子も良くなってきた)

明石の君(あかしのきみ)について。
源氏が28歳の時に明石の君は19歳。紫の上は20歳とされる。
光源氏の明石時代の愛人で源氏の一人娘の明石の中宮を出産する。

紫の上や花散里に次ぐ地位を得る。父は明石の入道で母は明石尼君。
明石の君の父は光源氏の母方の祖父の甥で官職を捨て出家している。



(早速amazonへ48本の経口補助液を注文した)

源氏物語に登場し明石の御方とか明石の君とも呼ばれる。
明石の上と呼ぶ人もあるが身分の低い側室で「上」は付けていない。

住吉大社にお参りに来た明石の君は夕霧を連れた源氏を見つける。
源氏の息子の夕霧が大切に扱われ隠し子のような存在の自分の姫を比較。



(梅雨明けが早まり今年の夏は長くなりそう)

明石の君はわが身との差を感じ深く傷つき参拝せずに帰ってしまう。
源氏はお側の者から明石の君も来ていたと言う話を聞き彼女の心を推測。

側用人は明石の君を思う源氏の心を察し筆を差し出し文を遣わしていた。
明石の入道は娘に京の姫君に劣らないほどの厳しい教育をほどこしていた。



(2軒隣の看護師さんへ経口補助液を返しに行った)

源氏は右大臣の娘の朧月夜と縁が切れない事で京から明石に流されていた。
父の入道の肩入れで逢引を重ね源氏が帰京したのち明石の中宮を出産する。

田舎育ちで身分の低さもあり源氏の愛人達にひけをとるのではと懸念。
源氏の二条東院へは入らず父が用意した大堰(おおぜき)の別邸に住む。



(母から聞き点滴が一番だけど役に立ち良かったと笑顔)

別邸で源氏と明石の中宮と対面が叶うが紫の上の養女として引き取られる。
明石の君は娘の行く末を考え手放したが成人するまで会う事は叶わなかった。

明石の君は冬の御方とも呼ばれ娘の入内を機に付き添い紫の上と対面を果たす。
生真面目で我慢強く気品を備え紫の上の死後は悲嘆にくれる源氏の慰め役となる。


「女三宮は不義の子薫を産む事となる」

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(amazonから経口補助液が届き試し飲みしてみた)

女三宮(おんなさんのみや)の読み解きは難しい。
女三宮とは歴代の天皇の三番目の姫宮のこと。

源氏物語に登場する内親王が3人いる。
現在では眞子さま、愛子さま、佳子さまの3人が内親王である。



(近所の看護師さんからの経口補助液と味が違い過ぎる)

光源氏の父である桐壺帝の同母妹、頭中将・葵の上の母。
桐壺帝の第三皇女、賀茂斎院。母は弘徽殿女御。

桐壺帝の第一皇子の朱雀帝の第三皇女、光源氏の正室。
女三宮は光源氏の姪で朱雀院の第三皇女の二品内親王。



(薬局で同じ経口補助液を買ったが値段は30%高い)

源氏が41歳のとき女三宮は15歳の時物語りが始まる。
母は藤壺中宮の異母妹である藤壺女御。女三宮は藤壺に似ていない。

出家する事になった朱雀院が母も亡く後見人もいない女三宮を不憫に思う。
准太上天皇となっていた源氏への正妻と決め六条院の春の町の寝殿へ。



(届いた経口補助液は安いが不味すぎて飲めない)

源氏も内親王であると言う事で女三宮を妻に迎える事を承諾してしまう。
容姿は美しいが父に溺愛されて過保護に育ちあまりの幼さに失望する。

女三宮への失望は返って紫の上への愛が増す事となり女三宮は傷つく。
女三宮の心の隙間へ柏木の強引な密会の結果不義の子薫を産む事となる。



(黒酢ぶどうベリーUSM茶へ混ぜて飲むと問題ない)

薫が柏木と女三宮の不義の子と気付いた源氏は女三宮に強く当たる。
耐え切れなくなった女三宮は父朱雀院に願って出家する事になる。

源氏亡き後は六条院を出て朱雀院から譲られた三条宮で余生を送る。
仏の道にすがる女三宮の姿は息子の薫の性格にも根深く影響していく。


「貴族が執筆途中の源氏物語を読んでいた」

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(光源氏の妻の5人を苦戦しながらも紐解いて来た)

平安時代中期の970年ごろ藤原為時(ためとき)一条朝の貴族を父に持つ。
歌人でもあり漢詩人でもあり中納言の藤原兼輔(かねすけ)は祖父になる。

紫式部は歌人を父とする環境の下に生まれ短歌の才能が長けていた。
998年ごろに藤原宣孝(のぶたか)と結婚する親子ほど年の差があった。



(今回源氏物語を書いた紫式部を紐解いてみた)

紫式部は翌年のちの歌人・大弐三位となる藤原賢子を出産した。
2年後の1001年に疫病の為に夫の藤原宣孝を亡くす事になる。

藤原宣孝が亡くなった頃から源氏物語を書き始めたと文献にある。
1005年から一条天皇の妃である彰子(藤原道長の娘)に仕え始める。



(源氏物語は世界最古の長編小説として知られる)

1011年に10年の歳月を掛けた源氏物語が完成している。
1012年に紫式部は彰子のもとを去り2年後他界したと伝わる。

紫式部の名前は本名ではなく源氏物語の紫の上から名前を付けている。
平安時代は天皇の妃や内親王でもなければ本名も生没年月もわからない。



(源氏の妻たちのあとは関係した女たちを紐解きたい)

紫式部が生きたのは10世紀の終わりから11世紀の初めごろ。
平安時代の中期だが紫式部が生没年は正確にはわからないが40歳で没。

紫式部の父が兄に漢文を教えていても紫式部の方がすぐに覚えていたほど。
紫式部はとても内気な性格で漢文の知識がある事を周りには見せなかった。



(夕顔は中国で何度も聞いていて既に更新済みだ)

源氏物語が書き始められこの物語の評判が藤原道長の耳に入ることに。
一条天皇の妃である彰子に世話役として仕えることになり執筆を続けた。

宮中では一条天皇をはじめ多くの貴族が執筆途中の源氏物語を読んでいた。
後の摂政道長も紫式部の部屋を訪ねては源氏物語を催促したようである。



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